氏真は言う、
「学問とは、代々それを受け継いだ師が、その伝統の秘伝を含め弟子に教え伝えることで始めて成就するものです。
それを公開し誰にでも学べるようにする、などと言う事は、学問そのものを破壊してしまいます。」
家康はこう答えた
「師につかなければ、学べないようなものは、学問ではない。芸だ。
学問とは、何から学ぼうが、学ぶ者の努力次第で、天下万民、誰でも会得できるものでなければならない。」
ホントに家康がそんな事言ったかどうかはどうでもいいが、言ってる事は良い事だと思う。「何から学ぼうが、学ぶ者の努力次第」。個人的にはマンガから学ぶ事が多いですね・・・範囲狭いけど。
と言う事で・・・
▶デジタルニューススレッド : スイーツが選ぶ「読むだけで勉強になるマンガ」ランキング
スイーツが選んだからか、作品の不遇さゆえなのかランキングに出てきませんが、「勉強になる」マンガと言ったらコレ。
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ついこの間も取り上げたばかりですが、『20世紀少年』なんかより(キライじゃないよ)はるかに勉強になります。勉強になるとは言っても連載終了から15年程経ってるので、描かれてる状況はもはや過去のものも多い事でしょう(ま、歴史の勉強になるかも知れません)。しかし裏(?)のテーマにある『学ぶとはどういう事か?』については、今でも通用すると思います。
人間はどんなところでも学ぶことができる。知りたいという心さえあれば。
さて、あらすじなんかはこちら↓を参考に、知ってる上で話を進めます。
▶MASTERキートン - Wikipedia
今回取り上げる『MASTERキートン』は17巻に「学者になる日」という話があります。これまで講師の職に恵まれなかったキートン。ようやっと論文が高く評価され、日本のとある大学から講師の口を打診される。揚々と面接に行くも教授の言葉に、そして研究室をクビになった男の言葉に、研究していくには大学のしきたりに従わねばならないと知り失望してしまう。これこそ「師につかなければ、学べないようなものは、学問ではない。芸だ。」って感じがします。
この話が描かれてから15年程経ちますが、きっと現在もそんなしきたりはそこかしこの大学に普通にあるでしょうし、たった15年くらいで変わる事もないでしょう。なにせ前掲の家康の言葉から何百年も経った現代でも、こう描かれていてるのですから。開かれた様でいて未だ閉ざされたまま、一部の学者にとっては閉ざしておきたいものなのかも知れません。
人間は一生学び続けるべきです。人間には好奇心、知る喜びがある。肩書きや出世して大臣になるために学ぶのではないのです。では、なぜ学び続けるのでしょう。それが人間の使命だからです。
【参考】
▶マンガでわかる学問シリーズ:『MASTERキートン』:大学プロデューサーズ・ノート 【アーカイブス】
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